以下、メルマガより抜粋。
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��あなたにとって、なーに?>
皆様にとってシオラーズ、ドミナ、SM嬢の存在とは何ですか?
あの事件の報道以来、SMに興味をお持ちになったとおっしゃる読者が多い為、
初心者・未経験者にもわかりやすく、説明を加えて書きます。
Мにとってのドミナ(支配者=女王様)は
性欲を満たすだけの関係で終わることもあれば、
生き方に影響を及ぼすほど、大きな存在に膨らむこともあります。
シャーマンであり、ハトシェプストであり、女神であり・・・
時には慈愛に満ちた母の如し、時には心を玩ぶ悪魔の如し・・・
��との関係性により、ドミナが見せる顔も行動も様々で、
ひとりのMがSの全ての顔を知ることは不可能でしょう。
逆も然りです。
犬のように従順であるМが、相手変えれば生意気なこともあります。
それどころか、Sに早がわりすることも珍しくありません。
SMクラブで出会った場合、最初はSMプレイから関係が始まります。
SMクラブの女王様プレイにおいて性行為は介入しませんが、
関係をわかり易く説明するのであれば、
「先に肉体関係をもった後に、後で深まる男女関係のようなもの」です。
ちょっぴり下品で過激な言い方ですが。
こうしてセッションを重ねてゆくにあたって、
お互いの存在が重きを占め、大切なものとなってゆくことがあれど
不思議なことではありません。
人には自分の好きな愛し方、愛され方があります。
ある人は手を握ることが最大の愛の表現かもしれない。
でも、それでは物足りないという人もいるでしょう。
この価値観のずれが「性の不一致」と言われるものでしょう。
��という行為、Mという行為=SMプレイとは、
それら、手を握ったりキスしたりという愛し方、愛され方と同じです。
拘束されることで愛されていると実感する嗜好の人(=M)もいれば、
愛の確認をする為に、足を舐めることを強いる人(=S)もいます。
確かに屈折している表現ではあるけれど、
知性に基づいた、人間のみに許された行為です。
想像力やビジョンの共有、理解力や洞察力、
五感を最大限に働かせ、関係性を確認するのです。
セッション中、Sは能動的に、Мは受動的になります。
��この主導権については微妙な点もいくつかありますが。)
オーラのある人、パワーの強い人、カリスマといわれる存在が
��として崇められるのは自然なことで、
ドミナをシャーマンや女神に例えるМは多いのでしょう。
確かに、最高のセッションを知ると、シャーマニズムそのもの、
もしくは近いものであることを体感できますしね。
その場合、ドミナばかりが媒体であるかのように語られますが、
私はそれに疑問をいだいております。
確かにSは支配者として、力を加減し、五感をフル活動させてМを操ります。
その手段として、鞭や蝋燭を使用します。
��は空っぽになり、Sの発する全てを吸収します。
脱魂し、Sの一部が憑依したかのようにも思えるし、
遠くに飛んだ魂を、糸のように細くなった意識の線で
泳がせているかのようにも思えます。
ある一定の状態に達すると、S側もその意識の線を辿り、追い、
風船のように浮かぶ魂を手中におさめる安堵で、
自らの意識も遠くにやります。
��も自分自身を空っぽにするのです。
��だけを空っぽにして、Sだけが現在に残り、操るのではないのです。
顕在意識上の生を保つ限界、一種のトランス状態の中で対峙するのです。
そこには形だけの支配や、理論的なS性やM性も意味を成しません。
見えない力や波が、永久に続く∞のマークのように
お互いの間を循環し始めるのです。
一体となる?融合?どんな言葉を選べばよいのかもかりません。
初めてこれを体感した時は怖く、中断しました。
しかし、これは私のSM追究を終わらせない罠ともなりました。
全てのSMセッションで必ずしもそのような素晴らしい体験が訪れるわけでは
ありませんし、そこに至るまでには資質や時間、相性も要しますが。
BDSMについて書いてきましたが、
SMクラブとは、これらの行為をバーチャルで楽しんだり、追究する場所です。
恋人や奥様に性癖をカミングアウト出来ずにいらっしゃる方、
気軽な気分でいらっしゃる方、長年性癖に悩み、相談にいらっしゃる方・・・
多くの方々がSMクラブを利用します。
認知されてきたとは言え、SMに対しはまだまだ偏見も強いでしょう。
それは、S行為、M行為に潜む感情を踏まえず、
鞭や蝋燭の部分だけが切り取られて伝わっているからでしょう。
深くを知れば、表現が異端なだけで、
真理は誰もにある感情に過ぎないことに、気付かされます。
��とMは、お互いが満たされている共生依存。
��は自分の存在意義をすり込もうとし、
��は自分の存在価値を確かめようとします。
満たされている共生依存、SとMの最高なる状態かもしれません。
永遠に満たされたまま、現世を終えられれば、
永遠の愛を手にすることが出来るのでしょうか。
改めて、あなたにとってのドミナと言う存在、BDSMとは何ですか?
あなたたちがドミナに癒されてきたように、
私も彼女らの存在に癒されてきました。
彼女らは私の宝石であり、ラ・シオラは私の宝石箱でもありました。
マテリアルで言えば、ヨーロッパで見つけた物、
街中で感性にフィットした物を持って帰り、時間をかけて収集した物。
術で言えば、失敗を繰り返す中で最良を見出だし、学んだもの。
ラ・シオラと言う箱は、
最初はヤスリもかかっていないただの木箱だったけれど、
内々だけには立派なベルベットを敷き詰めておくのを忘れなかった。
その上には、ドミナという様々な原石が常にちりばめられていたから。
彼女らが研磨され、輝きを放っていくのと平行して、
木箱の外も磨かれ、漆を塗られ、細工が施されていった。
このように宝石箱の片鱗を成してきたのです。
11年と言う歳月をかけて。
お店と言うものは、消費者にとって通り過ぎるもの。
長い人生の中で、誰かがちょっぴりの時間、足をとめるだけのもの。
だけど、店主やそこに関わる者にとっては、
最大限の思いと工夫と愛情が詰まっているもの。
あなたが今日履いていた靴はどちらでお買い求めになったの?
あなたが今日ご使用なさったフォークはどちらで?
あなたが今、手になさったハンカチは?ペンは?
記憶に残らないお店だってあるでしょう?
だから、たった一瞬、誰かの目に留まり、記憶の片隅に残ればそれで上々。
もし、あなたの記憶の片隅にラ・シオラのドミナがいらっしゃったなら、
大変嬉しく存じます。
一瞬であれ、素敵なお時間をお過しいただけたのなら。
ドミナとは、私の宝石であり、有意義な時間の共有の可能性です。
そしてBDSMとは?
未だ言葉では明確なこたえを見出だせぬものではございますが、
核は感性と私自身の生き方の奥深くに根付いているようです。
私の中に棲息する何かです。
逃げ出そうとしたり、嫌になったりしたことも。
だけど、自分の外部のものではないから切り離すわけににゆかない。
カオスの中で感じる。
結局、魅せられている。本能が。
では、何故人はSになるか?Mになるか?
私なりの核心がございますが、この物語はそのうち。
馬鹿げた話だと言われるかもしれないので、いずれ有料メルマガにて。(笑)
ラ・シオラと言う宝石箱は本当に多くの方々に支えられてきました。
会員様あってのこと、ドミナあってのこと、スタッフあってのこと、
同業の方々が共にこの世界を盛り上げて下さってのこと、
・・・まだまだ切りがありません。
シオラをプロデュースするにあたって、現実的な問題の一切を考えず、
直進することができました。
私の立場には普通、売上や実務の現実を突き付けられるものですが、
そういったことは一切なく、純粋にドミナ育成てBDSMの追求に
力を注ぐことができました。最高の環境で働かせていただきました。
ラ・シオラに携わって下さった関係者&ドミナの全てが、
この世界を理解しよう、運営にあたってBDSMがねじ曲がらないようにと
心掛けて下さいました。純粋にBDSMと会員様のことだけを思い、
聖域であるよう努めて来られたと断言できます。
この実直さが今回の出来事になってしまったのかもしれませんが。
これほどに純粋にSとMの為に、運営されてきたクラブを知りません。
自信をもって断言できます。
好きが高じて仕事となることはよくあることですが、
良い意味で仕事の範疇を超え、良い意味で趣味との見境がなく、
向かい合ってきました。
ラ・シオラの引き続きや再開、プロデュースのお話をいただきます。
純粋にBDSMと向かい合える環境であればお手伝いしたいと存じますし、
また、誰かがラ・シオラを残して下さるなら、
よろこんで引き継いでいただきたく存じます。
だけど、盲目で前進している私はよいけれど、
スタッフには純粋に何かを追求し続ける辛さがあったのではないか?
・・・と頭を掠める今日この頃。
だから、それでもやろう!って強さがないと難しいのではないのでしょうか。
どんな世界であれ、全うするということには、
純粋な思いが必要で、それを貫くには揺ぎ無い何かがなければ出来ない。
スタッフたちにそんな純粋さがあったと思う。
人は最初は黄金で出来ていた。
だけど、子供から大人に成長するにあたって、
大きくする術として土が必要になった。
100%の黄金に土を混ぜ、大きくなり、純度の低くなった黄金にまた土を混ぜ、
また純度が低くなり・・・そうして、黄金の人間とは別の人間が出来上がる。
土が混ざることが悪いと思わない。
いえ、土を混ぜてゆかないと社会生活の不適格者になってしまうであろう。
でも、土を排除して考える、好きなものに対して思いを貫くことは、
不純物の多いこの世界においては奇跡の宝である。大切にしてゆきたい。
こういったことを考えると、人間の行動、法治の社会などが
本当に正しいことが行われているのか疑問が湧く。
人間だもの、100%正しいなんてないと思うけれど、
何ていうのだろう、本来は許される範疇ではないものまで
まかり通っている気がする。
うまく出し抜いた人が得をしたり、純粋に取り組んだ人が馬鹿をみたり。
今現在の政治もそうだけれど、日常でもそういうケースによく出会う。
少しづつ世界を知り、広がり、
普通に生活していれば耳に入らないことを垣間見たり知った時、
政治や経済はわからないけれど、行政、各国の情勢や関係にしろ、
認識してきた以上に間違いだらけのような気もしてくる。
突き詰めれば価値観が逆転してしまいそうで、立ち入れないことも多い。
これについても不特定多数に語るにはあまりにも無責任すぎるので、
有料メルマガにて書いてゆければと存じます。
あなたにとって、ドミナとはBDSMとは何ですか?
そして、あなたが黄金の人間のままでいられる時間とは?
大切になさって下さい。私も貫きます。