有料メルマガより一部抜粋。
��私、○○留学していたんです。2>
��****
フェティッシュイベントのもうひとつの役割とは、
(中略)
それでも熱心なM紳士や仲間のお陰でお付き合いが継続しました。
��中略)
海外で活躍なさる日本女性への興味もあり、お仕事を受けしました。
��中略)
そのうち、私の渡欧回数と滞在期間を考えると、
家を借りた方がいいのでは?という話になりました。
��中略)
��男性たちの協力も大で、旅行気分で浮かれているだけでした。
��中略)
当時はユーロも安く、日本では考えられないお家賃で、
最高の場所にこんなお家が借りられたのです。
��中略)
このような経緯で渡欧することになり、気兼ねなくヨーロピアンBDSMの追求に
励む環境が整い、実際にそれから5年、没頭したのでした。
��中略)
ちなみに、今も甘いメッセージが来る。
日本のBDSMの窮屈な事情を知った仲間たちや知人が、
辛かったらヨーロッパにおいで、こっちの方がまだ自由だよ、
気晴らしに来るだけでもいいじゃないかと。
2000年。キリスト生還を思い出す。
あの時はBDSMの取り締まりが厳しかった。
どこそこのイベントにポリスが来たとか、そんな話ばかりだった。
それと同じだよ、と心中で呟きながら、Merciと心をあたたかくする。
ヨーロピアンBDSMと日本SMをもっと融合してみたいの、まずは日本で。
ヨーロッパでもらったものをまだ形にできていないから。
秘密の世界が、抑圧で本来に戻るだけなんだよ、
抑圧で燃えるのも自然なことで、だから自由も生まれるんだよって