手放すことは、得る為の手段。
手放すことを譲れば、そこに争いはなくなる。
手放す人は、犠牲者でもあるけれど、人の幸せなんてそうじゃなきゃ成り立たない。
でも、手放す人が不幸せかというとそうでもない。
手放すことは、得ることの手段。きっといつか、何かが巡ってくるに違いない。
・・・そう信じていなきゃやってられない。
不幸せな人は、何も手にせず死んでゆくことも有り得るけれど、大切なのは、最後のその時まで望みを持っているかということ。
生まれ来る時、幸せ、不幸せのスタンプを持ってくる。
不幸なのは、不幸せのスタンプの人が、与えられた以上の幸せを望むこと。
悲劇はそこに起きる。
ある人は美しさしか持ち合わせなかった、
ある人は知性しか持ち合わせなかった、
ある人は商才しか持ち合わせなかった、
ある人は全部もっていた。
ある人は幸せのスタンプを持っていた、
ある人は不幸せのスタンプを持っていた。
なーに、不幸せも上をみなければそれなりに幸せさ。
ある人が言った。
不幸せは、幸せを望む悲劇におきる。
そんな時、人はビルからダイビングしたり、手首にナイフをあてたりする。
だから、大切なのは、自分の足元だけをよく見ること。
多くを望まず、愛する隣人と手を取ること。
それだけで幸せが訪れる。
等身大の幸せは、足元と隣人、たったふたつで手に入る。
だけど、それが難しい。
時々、神は?人生は?錯覚という悪戯をするから。
保健所で殺される犬と、寸前で助かる犬に、一体何の違いがあるのだろう?