2013年5月5日日曜日

裏側の人生、マゾ。



チュルリー公園のお花です。
建物の素晴らしさに気をとられていて
今まで思わなかったのですがパリは意外とお花が少ない。
宮殿や公園は別ですが
普段歩くところは意外と少ない気がします。
南の方と比べてしまうからでしょうか。

今日は日曜。
東京にいる時と違って週末をとても意識します。
日曜はお店のお休みも多いので
今日中に◯◯買わなきゃとか、
日曜だからマルシェがあるとか、生活じみた理由です。
東京にいる間は自分のことなどお構いなしなので
こんな生活じみた感覚を持てるのさえ、
幸せだなぁと感じることがあります。

幸せの尺度もポイントも人によって違いますよね。
平均は大きくはズレていないのだろうけど
他人を思いやったことが思わぬ結果になる・・・
ということもあるわけで。
ことマゾに関してはそう思うことが多いです。

「普通の生活など考えずに
目前のSMクラブのドミナに心酔する。
そのドミナが去ってしまったら
真綿の抜けた人形になるかもしれない。
そんなこともお構いなしで
今、ここに心酔できるドミナが存在するのだから
とにかく徹底的にマゾる。」
昔のマゾ客はこんな男性が多かったです。

ドミナ側はというと・・・
「お前の未来など知ったことじゃない。
私自身も先のことなどわからない。」
マゾの挑戦状を受けてたってた。
サドとしてきっぱり切り捨てるところは捨てて、
いい意味で相手の立場、感情返り見ず、
ほどよく冷酷にやっていたような気がします。
冷酷さのないサドなんてサドじゃないですしね。

相手の立場に立つことは大切です。
でもサドマゾの世界になれば別。
そんなことなど考えず、エゴバトルでいいと思うのです。

「SMの世界も変わりましたよね。」
キャリアの長いサド、マゾがよく言う言葉ですが
真髄は何にも変わっていません。
むしろ時代を経て、
こうやって国を跨いで関係を作って思うのは
どこも同じだなぁ。

変わったとしたら腹を据える人間の割合。
腹を据えるという意味もわからない人も多いかも。
自分の尺度で据えるものでもないし・・・。
もっと手厳しい言い方をすれば、
何か悪いことがあっても
責任転嫁できるように考えて立ち振る舞う人の割合が
凄く増えたんじゃないだろうか?
良く言えば賢くなった、
汚く言えばずるくなった。
SMの世界云々以前に、不幸とまでは言わないけど
幸せと実感している人はとても少ないんだと思う。
ハードルの高い幸せを望み過ぎているのかもしれない。
本当に幸せがない世の中なのかもしれない。
どちらなのかわからないけど。

いずれにせよ私の場合、
求める幸せの平均値が低いんだと思う。
小さなことで一喜一憂している毎日。

でも本当にあるのですよ。
傍からみて不幸だと勘違いされていたオトコが
マゾとして幸せな一生を終えてたという
当事者同士にしかわからない話が。
こんな素敵なロマンスが。