昔と今ではSMは変わった?
日本と海外のSMは何が違う?
よく受ける2つの質問です。
今日はひとつめの質問について書いてみます。
昔も今もSMの根本はそんなに変わっていない。
変わったのは人、プレイヤーではないかと。
��側は嫌われるのを恐れる人が多くなった。
昔のM男性は脳味噌が精子だったけど、
今のM男性の脳味噌はタブレットです。
この間、某S女様と
嫌われるのを恐れるSが多くなったよねと話したの。
(許可とってないので名前は伏せます。)
これはМ男性もよく言うことなのよね。
SMの世界に限らず、安全圏で遊べる範囲で済ませる、
小さく収まる人が多くなったのは間違いない。
善し悪しは別としてちょっと可哀想。
でもSMの世界、とくにSが、
安全圏内で主張しているのって・・・どうかしら?
すごく惜しいのよね。
��とMって地道なすり合わせの繰り返しで
何かを育んでゆくような気がする。
パズルのように最初から全てがピタリと合うなんて
そんなにはないはず。
歪んだパズルを合わせてゆくのも面白い。
小さな接点を広げていったり、
��をどう納得させるか戦いを挑んだり、
逆にМから世界を広げてもらったり・・・
そんなことを繰り返して何かを育んでゆく。
・・・うーん、うまく言葉で言えないんだけどね。
「勘違い女王様」という言葉がある。
勢いあるS女さんは短期間ですが
そんな時期を過ごすこともある。
しかしM男性の嗅覚って素晴らしくって
誰が金の卵かをしっかり嗅ぎ分けている。
「金の卵の中の勘違い女王様」が孵化した時、
「立派な女王様」が生まれてきたり。
М男性のすごいところは
(ただの)「勘違い女王様」の孵化を待つことはない。
それどころかきっぱり見切る。
そもそも、ただの勘違いじゃ孵化しないしね。
なんでわかるのか不思議なんですが、
奴らが待つのは「金の卵の中の勘違い女王様」限定。
長くなったので続きはまたね。
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