2007年9月5日水曜日

「有明の月」におもう。

夜更かししている今夜・・・もう早朝という時間になってしまう。い、いけない・・・。
本当ならね、今日から連休だったの。でも諸事情により、お休み返上。遊ばなきゃやってらんない!
・・・というのは嘘で、いろいろ頭を使い過ぎて小さな脳味噌はオーバーヒートですわ。

ハチドリの話ってご存知ですか?木津龍馬氏に教えていただいたばかりのお話ですけど。

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アマゾンが大火事になったの。大きな炎があっと言う間に広がり、動物達は火事から逃げていったの。大きな動物も小さな動物も、炎から逃げてゆきました。

ところが、小さなハチドリが炎の方へ、逃げてゆくみんなとは逆に飛んでゆきました。そして、小さな口バシから数滴の水を炎に向けて落としました。それを何度か繰り返しました。
それを見た大きな動物達は、そんなことをしても火事がおさまるわけないだろ?って言ったんだって。

ハチドリがこたえました。
「私は私のできることをします。」

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効率と便利さ、結果とスピードが求められるマテリアルな今現在に、足りないものがこの話の中にたくさんつまっている。たいていの人は炎から逃げる動物達。ハチドリはごく一部の・・・いえ、稀有な存在に違いない。
私ひとりがやっても仕方ないし・・・そう考えがちだけど絶対違う。

炎に数滴のお水。
きっとそんなことをしていたら、誰もが馬鹿だねって笑う。
ハチドリの話を知っていても、そんなことしている人を見たら、私だってあなただってきっと笑う。
だけど、違うよ。

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誰もがご存知の以下の宮沢賢治の詩。この詩のエピソードをご存知ですか?

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雨にも負けず、風にも負けず、
雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、
決して怒らず、いつも静かに笑っている。
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに、よく見聞きし分かり、
そして怒らず 野原の松の林の陰の小さな藁ぶきの小屋にいて、
東に病気の子どもあれば、行って看病してやり、
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い、
南に死にそうな人あれば、行ってこわがらなくてもいいと言い、
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い、
日照りのときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き、
みんなにでくのぼうと呼ばれ、褒められもせず、
苦にもされず そういう者に私はなりたい

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この詩のモデルは斉藤宗次郎さん。有名人ではなく、一般男性です。宮沢賢治が「なりたかった人」。

小学校教師でクリスチャン。クリスチャンが迫害を受けていた時代。それでも宗次郎さんは信仰を続け、それが元となり、虐めで9歳の娘を殺されてしまった。

そして、自分自身も肺結核を患う。それでも信仰を貫いた。

迫害を受けても、村人や、自分の娘を死にまで追いやった子供達に奉仕の心を失わなかった。
冬は通学路に積もる新潟の深い雪を掻き分け、凍結に足を取られる子供を抱き、安全に学校に送り届けた。
何年も何年も、さまざまな奉仕を続けた。働き続けた。

宗次郎さんが新潟を離れ、上京することになった。
クリスチャンで村中から嫌われ者の自分は、寂しく土地を離れることになると思い港に行くと・・・村中の人々が、村長も子供達も、宗教超えて僧侶達も、宗次郎さんを見送りに来た。

1968年、斉藤宗次郎さん死去。

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今、ネイルアーティストにリクエストして書いてもらった「有明の月」が、私の左薬指にある。

オオカミ、帽子、手袋・・・好きなものはいろいろあるけれど、その中にある「有明の月」。
「満月や三日月なら好きな人、多いけど。」
「そんなものが好きだなんて変わっているね。」
よくそういわれるけれど、確かに「有明の月」は和歌などに登場することはあれど、メインになることはない。
普通は、いつも頭の中にあるものでもない。

私はそんな「有明の月」に憧れる。

琴線に響く何かや、感動のエピソード、主人公の裏側には、必ず何かや、キーマンが在る。
そういった存在は、まるで「有明の月」のよう。

私は子供の頃から目立つと言われ、おまけに性格もお調子者で三枚目。サービス精神も旺盛だったせいか、常に物事の中心に立たせられてしまっていた。

そんな自分が嫌いで、度々落ち込んでいたんだけど、いつも私の脳裏にあるのは「有明の月」
物語なら端役。
トランプなら4。
カレーなららっきょう。
人生なら愛人。
台本なら深夜のラジオ。
「有明の月」は出過ぎることはなくて、姿を消したり現れたりしながら、何かを諭してくれる。

ハチドリも斉藤宗次郎さんも、「有明の月」とクロスする。
宮沢賢治につづき・・・私はそういう者になりたい。(笑)