2008年10月7日火曜日

受け止める力と美しい日本語

京都の龍崎飛鳥様・・・ふ、深い!
きめ細やかでさり気ないお気遣いといい、やっぱり一流ですわね。ああ、京都行きたくなった・・・肌寒い嵐山、湯葉・・・しっとりと旅したいものです。

先週は名古屋の冴場レイさんとお会いするチャンスに恵まれました。
実は、私が新人、彼女が素人ドミナの頃にお会いしているのです。深くお話したことも、たくさんお会いしたことがあるわけでもないけれど、心がやすまる女性。柔らかくしっとりと、魅力的です。

人気あるドミナたちは個性と魅力で輝いていらっしゃって眩しいですね。大らかな人間性にこちらも救われます。

話はかわって・・・ここ最近の話ですが、あることに気がつきました。
ありがとう、ごめんさいを他人に求める人ほど、「どういたしまして」という言葉や交流がないのです!些細なことですが、驚きの発見でした。

私の友人がAさんに向けて書いたことを、AさんはBさんに向けて書かれたものだと勘違い、自分のことを言われているとは気がついていなかった・・・というエピソードがあります。(笑)
人って自分が出来ていると思えば、それだけ気がつかないものなのですね、恐るべし。

「ありがとう」「ごめんなさい」→(それにかえす言葉)がないから、お礼言われていない、謝ってもらっていない、って気になっているんだ!と気がついて目から鱗。
メール交換の中で、「あれ?普通の方と流れが違うわね?」とふと気がついた。そんなことからお互いの未熟さ、違和感の理由が一気に理解できた。ぅわ~、こんな下らないことでって。

威張ったような物言いは弱さの表れ、挨拶からはじまらないのはコンプレックスの表れ、そんなことがわかれば、小さな人だなぁと可哀想になる。自分もその小さな枠で考えていたんだと知って愕然とする。

「ありがとう」「ごめんなさい」を重視する人は多い。どの道徳家も宗教家も、まずはそれを言う。しかし、それだけで片手落ちじゃないのか?発する方がいたら、受け止める方もいないと。(SとMで言ったら、片方しかいないってことじゃない。)
どうせならもっと突っ込んで広めてほしい。「ありがとう」「どういたしまして」がワンセットであると。
「どういたしまして」と返された時の更に優しくなれる気持ちも大切ではなかろうか?

Thank you,You're welcome
Merci,Je vous en prie.
英語もフランス語もふたつワンセットになっている。よく考えたら、お店で会話する時も、こちらがお礼を言えば、Je vous en prieやYou're welcomeが必ずある。
いつからだろう、日本語の「ありがとう」に「どういたしまして」の声が明確でなく、笑顔だけで済まされるようになったのは?
こんな会話をしているから、メールで挨拶やありがとうを書いても、具体的な挨拶やどういたしましてがなくなる・・・と言う悪循環。

結局、ありがとうごめんなさいを求める人は、自分が正しく受け止めていないから、言われていても気がついてない場合が多いのよね。指の隙間から、相手の言葉がどんどん漏れているの。

結局、自分の気持ちよさや満足を求める人は「ありがとう」を言われることに重点を置く。「どういたしまして」を言えない人が9割。
相手の役に立ちたい人は満たされた相手に重点を置くから、「ありがとう」と言われることに「当たり前のことをしたまでです」って気持ちが強いから、「どういたしまして」の交流がある。

驚いたことに、年齢が高い人ほど「どういたしまして」がない。人生経験と道徳上の教えから、感謝の心を意識しようとするし「ありがとう」には神経質。だけど、受け止める力がなくてバランスが悪いんだね。
もしくは、生きることに慣れちゃって、「ありがとう」を言ってればいいと思っているだけ。単なるすりこみだね。年とっても生きることに鈍感にはなりたくないなぁ。
不思議なことに、成功者は「どういたしまして」がセットになっている。いまいちの人や企業には、それがなかった。

��Mでは「どういたしまして」が下手なSは、コンプレックスが強く、我をはっているから挨拶もできなかったり。ここは、受け止める力も鍛えたいものである!

今まで私から「ありがとう」「どういたしまして」をセットでもらってないという方、ごめなさいね。
美しい日本語とは言い回しではなく、こういった単純なことではないだろうか・・・本来は。