2011年5月5日木曜日

軋轢は調教のはじまり

再びコメントありがとう。
これは誰に向けて書いているのか、
あなたにはもうわかるね。
心酔できるドミナがいないジプシーマゾの、
最も素直な心の声だと感じました。

自分のことがわからないって多いでしょうね。
あなただけじゃないよ、きっと。
人間は自分を知る為に生きているのかもしれない。
明確な目標とか 明確な好きな人とか、
明確な将来の夢とか 明確に好きな仕事とか、
明確なことがわかるだけでも幸運でしょう?
どこへ行けばいいのかわからないのって不安だものね。
指針を求めるから、
誤った形であれ宗教に走る人もいるわけで。

便利さや欲望を満たすためのサービス業や商品、
環境だけが整ってゆきながらも、
心には不透明な時代と将来への不安がある。
恵まれたマテリアルと暗雲の立ちこめるメンタルのアンバランス。
潜在意識下でストレスになっているのかもしれない。

父や母は最強だと信じて疑わず、
その腕の中に居ることで得られた絶対なる安心感を
欲しているのかもしれません。
安易に「癒し」なんて言葉は使いたくないけれど、
そのような類のものを求めている人が多いのも事実よね。
マッサージ、リラックススペース、足つぼ、指圧、アロマ・・・
異常な数の癒し産業が溢れている国は他にない。

いずれにせよ、
母性や女性性というものを男性が欲するのは自然なこと。
SMの場合、単純に精子を出したいだけでなく
プロセスが占める比重が大きいから混乱しがちなだけで。

「言わなくてもわかってほしい」
これもごく自然なこと。
共通点の多い男女は恋愛関係になりやすい。
実際にデーターがあるらしいんだけど、
例えば婚活などで同じ出身地、同じ趣味、同じ学校・・・
と、共通点の数が多いぶん、恋愛関係に発展しやすいそう。
みんな、「言わなくてもわかる」を探しているのでしょう。
共通点が多いだけで同じ情景を描けるから。

「価値観が合う」は「共通点が多い」とイコールではない。
でも、錯覚する。
BDSMの世界においては、
好きなドミナと自分の嗜好が偶然あえば嬉しいだろうし、
親近感も芽生える。
会話以前にかゆいところに手が届くような偶然が
ドミナの言動にあれば、
求めていたドミナだと期待を寄せる。
形は違えど、恋愛の中で抱く感情と同じなのね。

でもね、その多くは錯覚なの、それでいいの。

擦れ違い、誤解、討論があり、
お互いを彫刻のように削り合って
マッチさせてゆくのも悪くない。
それが調教でしょう?
最初からマッチしていればBDSMの世界に調教は必要ない。
BDSMってのはSもMも思いっきりエゴをぶつけ合い、
軋轢を楽しめばいいのよ。
コンビニエンスに流されてはいけない。
もともとSMマニアなんて面倒な生き物なんだもの。
粘膜と粘膜の摩擦だけじゃ満足できないから、
厄介なプロセスを好むわけでしょ。

あなたは不満がある。
心のどこかで錯覚に気がついているから。
誰かに説得されたい。
仮の答えでもいいから見出したい。
説得力のあるドミナが土足であなたの心に踏み込んだら
何かが弾けるのかもしれない。
でもね、ドミナはエスパーじゃないの。
それにあなたは、空虚を、満たされない理由を、
自分で作ってはダメ。

先ずは、ごくシンプルに、
感情を出す、感情を受け止める、
そんなことからやってみてはどうだろう?
錯覚から現へと。
それから生まれてくるものもあるよ。
次はそこから考えればよろしい。