2012年6月11日月曜日

純粋と無知と娼婦

無知と純粋なのは違う。
無知と純粋は時々同じだけど、
実は相反するもの?

純粋って穢されることがないもの。
それを証明するには
良いことも悪いことも知って、
乗り越えた結果どうか?じゃないと
そこに純粋が宿るのかどうかさえ
判断できない。

よくあるよね?
「あの人は不幸に襲われ変わってしまった」とか
「お金持ちになってから人が変わったね」とか。
片寄った側面から見ているだけじゃ
判断のつかないだろうし、噂話だけかもしれない。
でも明らかに悪く変わる人はいる。

変わらない=頑固じゃないから、
誤解しないで欲しいんだけど、
この「変わらない」は人間としての高潔さとか
そういった類のことだから、
自分だけの感覚で善悪を決めて
変わらない・・・というのとも違う。
何て説明すればいいんだろう?
考える、という行為をする以前の
心に植え込まれたメカニズムに近いような。
そのメカニズムはいつ出来るか知らないけど。

無知って純粋である必要がないんだよね。
だって、無知なんだもん。
これから知ってゆく段階の中でどうなるのか。

でも、人は子供を純粋だと決めている。
経験の少ない人間の無知だからこそ発する発言に、
「いいねぇ、純粋で。」と目を細めたりする。
実際に自分も言われたことあるわけだ。
・・・そうなのか?純粋じゃなくて無知じゃ?
齢二十歳、ふと疑問を感じた若かりし日の私。

漠然とそんなことを思って生きてきたわけですが、
思いがけないところで「純粋」に出会ったりした。
いやな経験、辛い経験、汚いことも知って、
尚かつ純粋でいる人は存在する。
“そんなことあったのに
どうしてそんなんでいられるの?”という人が。
いるんだよね、菩薩のような人が。
いや、若くしてお亡くなりになったので
いたんだね、というべきだけど。

その人は身体を切り売りしていた。
その中でいろんなことを見た。
でも、決して穢されることがなかった。
良いことも悪いことも、
天国も地獄も見た上でも純粋だった。
彼女のそれは、無知な子供特有のものとは違う。
社会のしわ寄せを受けた人に目を向け、
手を差し伸べ、社会的にも何とかならないかを考え、
行動もしていた。

私は“娼婦”って言葉が好きなんだけれど
慈愛と寛容に満ちた娼婦に勝る女性はいないと
思ったりすることもある。
良妻賢母も処女もセレブなマダムもSM嬢も
彼女らには叶わないんだ、と。
マグダラのマリアが娼婦だったと言われるのは
そんなこともあったんじゃないかな?

人の善悪も美醜も知って受け入れて、
純粋であり続けることができる人は
一体どれだけいるんだろう?

私が奴隷に身も心も切り刻むような(笑)
命令を要求する時は、
余裕無く命令に向かう必死さや
純粋をバーチャルでもいいから証明して欲しいのかも。
・・・というとかっこいいが、
そんなこと別に考えてないよ。(笑)
外部の入る隙のない張りつめた空気が好きなだけ。


純粋でいるには体力も精神力も両方要るんだよね。
ゆとり世代以降、両方ない人が多いから
純粋も減るのでしょうかね・・・?


都内の会員様
いや、ブタはだめでしょ、ブタは。(笑)

��さん。
ここ1年くらい途絶えていますが
彼女とは何かと連絡とってますよ。
��年に1回くらいのペースで会うかな?
でもSM関連のお付き合いじゃないんです。

��さん。
ごめんね、やはり無理でした。