2008年5月15日木曜日

彼への想いはサウダージ



photo : Mon saudade "VENT''

以下、メルマガより抜粋。
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サウダージの意味を問われ、
「ボサノバの有名なポルトガル語。懐古趣味のようなもの?感覚?」
とお答えしたというお話を書きました。

でもね・・・
そう答えつつ、「しっくりくる単語がないわね。」と感じておりました。

ベルギーにいた頃、猫の手も借りたい収穫期の数日間、
ポルトガルのオレンジ農園のお手伝いのチャンスがありました。
素晴らしい経験になったであろうこと間違いなしですが、
私は虫が大嫌い、怖くて仕方ないので・・・諦めました。
��でもゴキブリは殺せる。)

もし、広がる農園を目前に、ボサノバを耳に働いてみれば、
「サウダージ」と言う感情を掴めたかもしれません。

今回は「サウダージ」に突っ込んでみます。

「哀愁」「郷愁」・・・どの訳もニュアンスも少し違うようです。
言葉に出来ないもどかしさを感じていたら、
ある方がうまくまとめて下さいました。

『不安も孤独もなく、自分が守られているのがごく当たり前のことと
確信していた幼き頃の日々、世界が自分に微笑みかけ、今日は明日に繋がり、
たくさんの明日を経て輝く未来が開けると無邪気に思い込んでいたあの頃。
あの頃の自分へ憧憬と郷愁。
楽しくて希望に満ちていたあの日々へは決して戻れないとはわかっている。
だけど戻れたらいいなぁと思ってしまう。

今も自分の中に息づいているようで、
懐かしいという感情では蔽いきれない。そんな過去の記憶に対する感情。
まだ十分にみずみずしく、二度と訪れることはないと解っているけど、
過去や想い出としての領域に仕舞いこむには寂し過ぎる。
想い出にしてしまったら自分から離れてしまうような気がして、躊躇してしまう。
二度と戻れないと認めてしまうようで。

あの頃には戻れないとわかっている。それでも憧れ、求め、そして懐かしむ感情。

ふと想い出したとき、今でも躍動感と現実感に溢れていて、
懐かしさと切なさをと伴って心に溢れるほどに蘇る記憶。。。

そんなときにはきゅっと心が締め付けられるような、そんな感じの心の動き。』

サウダージという感情は、ポルトガル語特有の言葉で、
他の言語では本当の意味を充分に伝えられないと言われているそうです。
でも、こうして読んでいると、
誰もがこんな感情を持った経験があるのではないかと存じます。

例えば、昔の恋人を想い出してみて下さい。

想い出の領域に入っていると言うことは、
今の心からは一度切り離されていると言うこと。
しかし、今も心に繋がっている、
一度も切り離されたことのない過去の記憶があります。
それは、想い出して括るにはあまりにも不釣合いな臨場感と感情。
今でもその現実を伴っているような錯覚です。

マイナスの感情で繋がっている場合、
「サウダージ」は存在しないことでしょう。


祖国を遠く離れ、異国での数十年を経て、子供や孫に囲まれている。
長く想い出すこともなかったのに、ふとした折に、遥かなる故郷の景色が心に浮かぶ。
故郷の風、大地の匂い、母の声、父の肩車・・・


去年逝ってしまった愛犬ベント。

『彼への想いは私のサウダージ』

想い出と言うには近すぎる。
くるくる動く立ち耳や、私の顔に触れる柔らかな体毛が隣にある。
自然と「ベント」と声が出る。
「Venez,Vent,C'est bon,Vent...」
背景はベルギーの家、庭、森、カフェ・・・
ベントは心に生きていると感じる。

「心に生きている」と言う表現は陳腐なものだと思っていたけど、
本当なんだと今はわかる。

現実には死を受け入れた。
だけど、ベントの生と私の心は繋がっている。
楽しさと悲しさが混在し、懐かしさと切なさが一緒くたになる。

ベントとの日々には二度と戻れないけど、
奇跡が起きて戻れたらいいなと思ってしまう。

『彼への想いは私のサウダージ』

さぁ、昔の恋人を想い出して下さい。
サウダージですか?想い出ですか?