2006年8月1日火曜日

コミュニケーションすると言うこと

またまたいろんなことを学ぶチャンスに恵まれました。知識の神様に感謝です。

フィジカル&メンタルトレーナーの講習を受けさせていただきました。脳のこと、食の影響、体のセンサー、メンタル…本当に人間の体は微妙なバランスの上にあるんだと実感いたします。
微妙なバランスと言えばSとMという関係を楽しむ私たちもそうですが、すごく繊細で、細かい行為の積み重ねでそれらは保たれます。とても似ています。

それ以外にも共通するワードが講習の中で何度もでました。それは「コミュニケーションするということ。」

シオラのサイトでも書いてますが、私はよくコミュニケーションを強調します。SMの場合、頭のいいドミナであれば「無視する」と言う行為ですらコミュニケーションに変えるということを知っているし、そのテクニックも持っています。その計算のないコミュニケーションは「ただの無視」です。

「ただの無視」コレは人間関係の拒絶です。SもMもありません。ただ相手を壊したいだけの、SMとは別の残酷行為をしたいなら、無謀に「ただの無視」をすればいいだけです。これは誰にだって出来ます。
もっと残酷なのは、相手のマゾヒズムがどれほどのものかを見抜いた上で、無視というコミュニケーションをしながら、甘美に壊してゆくことですが・・・極上のSMですね。(笑)誰にでも出来ることではありません。猫が獲物をいたぶるのに似ています。

SMの話はさておき、コミュニケーションが成立しない結果はどんな場合も悲惨に終わる…と言うことを思いました。脳も、心も、体も。アルツハイマーの進行だって、コミュニケーションの度合いで変わる。人との関わり合いを考える今日この頃です。

街でぶつかってきた人、私が商品を手にとっているのに堂々とぶつかってきた年配の女性…今日1日だけでそんなことが2,3度ありましたが、誰も「ごめんなさい」を言わなかった。どころか、そこにいる私が悪い!ぐらいの勢いだった。「ごめんなさい」を言うくらいの余裕はもっているようにしたいね。

しかし、私もそんなふうにかりかりしていたことがあったのではないか?…反省。小さなコミュニケーションを大切にできなければ、SMなんて深いコミュニケーションはできないと思うので。