2006年10月24日火曜日
変動
「合宿から帰ったら、いろいろ変化が起きるよ~。」ある人に言われていたのですが、気軽に受け止めていた私。不思議な経験も多数あるし、「世の中には説明つかないこともあるよね。」と思っている反面、妙に現実的で、占いや予言は鵜呑みにしない。参考までに聞き、現実に基づいて判断する。○○については信じるけど、●●については信じない・・・みたく、ご都合主義の解釈をする。
しかし、事は起きた。
合宿の講習では、一般常識では正しいと思っていた食事法が栄養学的には間違っていたことを知ったり、目から鱗ってことも多かったので、親しい一部の人達に講習の内容を教えてあげようとワクワクして帰宅準備をした。そして、数時間のうちに???なことが起き始めた。「いろいろな変化が起きるよ~」の言葉のとおりに。
そして、今日。昨日からの1日半の間に、些細なことだけれどいくつかの決断をしたり、価値観の変化を感じることや、小さな変動を感じることがあった。ひとりが去ってふたりが現れた。
計算ならそれでもプラス1人だが、結果、今現在、私には(奴隷以外の)恋人はいない。(笑)こんな私に今もお付き合いを望んで下さる方々がいるが、なかなかYESとは言えない。SMの前に人間性ありきなので、相手がSかMか?は重要視していない。付き合ってからSMを教え、理解してもらえばいいだけだしね。もし、それが出来ないなら私に説得できるだけのものがなかっただけのこと。だから、SMについての価値観は問題ない。
問題はSMから発する私の考え方。まわりにMが多いのと、昔から物事が運ぶ時は常に中心に立たされることが多かったのとで、「私がしっかりせねば!」「受け止めてやらねば!」という思考回路にはまりがちになり、普通の方々とは価値感が変わる。
ごく普通の家庭で、厳しく育てられたのだけれど、そんな私の価値観が何でこんなに普通の女性とずれているのか不思議。
普通の女性なら「どうしたらキレイに見えるか?」とか「可愛く見えるか?」を中心に考えるところでも、私の場合は「どうしたら強く見えるか?」が基準になる。私の中で、女性的な甘えは弱さは恥という位置づけにすらなっていた。
そして、精神的に弱い人間は、私にとって軽蔑や嫌悪を抱く対象ですらあった。ほとんどコンプレックスと言ってもいい。過激な筋トレに走ったのも、そんなコンプレックスや強くなりたいと言う思いが原因だったかもしれない。
そんな「強くありたい」コンプレックスの私が、ひらきなおった今だから話せること。
8月下旬、ある出来事に巻き込まれて後をつけられパニック障害になった。着けている人の顔も覚えているし、動きがおかしいな?と思っていたけど、近所のおばあさんに「変な人が後つけてるよ、大丈夫?昨日の夜も誰かが警察呼んだみたいよ。」と言われ、パニックになった。
何度かストーカー被害にあったことがあり、ひどく危険を感じたことがあるので、その時のことを思い出したのだ。
(この業界に入る前にストーカー被害にあったこともあるが、10年前までは今のようにストーカーという言葉が一般的ではなかったし、警察の動きも遅かった。)
精神的にも肉体的にも強くありたい願望が強い私にとって、パニック障害になったことは絶望的な恥と言っていい。自分が嫌悪を抱いていた弱い類に自分が入っているってことがショックだった。
しかし、なってみて見えることもある。苦しくなったりする。その中で絶望感ってものも知った。しかし、どんな苦しかろうが、結局やるのは自分。
ちなみに、薬は絶対に飲まない。自分を心の孤島に追いやって、自分に向く苦しさをバネのように外に返す。SMをやってきて培ってきたコントロール法を自分に向けてやるだけのこと。
普通に逃げたり泣いたりできない自分の弱さはあるけれど、弱いということに対して開き直り始めた自分もいる。些細なことだけど私にとっては大きい。人間、死ぬ時は死ぬんだし。