2006年8月11日金曜日

たくさんの「さようなら」

今日、久しぶりのお休みだったから家の中のことを慌ただしく片付けた。超忙しい毎日だったから、我が家の中はあちこち悲惨な状態だったから、今日はプロのお掃除に入ってもらった。さすがにプロの仕事は違う!

お掃除が必要なのは家の中だけではない。頭の中のお掃除も必要で、今日は主に神社や公園にいた。我が家の中でもソファーの上ばかりにいた。お休みがなかったのと、昨日は6時起きだったのに、寝るのが深夜をまわってしまったこともあって、怠さが残っていた。

最近、たくさんの「さようなら」を繰り返している。物、事、人、趣味…ありとあらゆる全てのことを。基準は不可能か、可能か。うまく言えないけれど、私がかかわってうまくしてあげれないことを順番に「さようなら」している。手元に残るのは、ほんの少しのものだ。

きっとつまらない毎日になってしまうと予感しながらも、私はそれをする。好きなことが隣にある辛さもあるから、時には断ち切ることも必要。

「さようなら」のターゲットである「人」は問題ない。きっとみんな自分の意志でそれぞれの何か、それぞれの誰かを見つければいいから。私のスペアなんて意外と簡単に見つかるはずだから。私がうまくしてあげられないのだから、私のスペアを見つけることでみんな幸せになる。私に比重をおいている人はいないはずだ。だから、「人」の「さようなら」は意外と簡単だ。

辛い「さようなら」は意外と「事」と「趣味」だった。いや、これから始め、「人」とも「さようなら」することになったのかもしれない。たぶん、私は「つまらない人」になる。私がずーっとなりたかった、「つまらない人」になる。「つまらない人」は多くの人にとって無用だ。とくに、つまらない人になった私みたいなタイプの人間は。

一生を都会の煌びやかさなど知らずに終える人達がいたとして、彼らは都会好きの人からしてみれば「つまらない人」にしかないと思う。そんな「つまらない人」になりたくなることもある。逃避、現実、どちらかは知らないけれど。「つまらないことのない人」のふりして、「つまらない人」になる。私が「つまらない人」になるまで、時間の問題だ。

「つまらない人」で頑張ってみるこれからの時間。手元に残るのはほんの少しのものだ。それでも私はうちの愛犬よりたくさんの物を持っている。スリッパ、携帯電話、パソコン、スニーカー、ハイヒール…なんで文明で生きる人間は生きていくのにたくさんのものが必要なんだろう?うちの愛犬は噛むと音がなる3つの玩具と、チューイングガム、骨、の5つの物しか持っていない。

私だって何も持っていなかったじゃん?ってまた「さようなら」をする。