2019年12月31日火曜日

2019年 しめくくりは鞭と波。

いつも思うのですが
大晦日は神聖な空気になります。
深夜に向かうにつれて濃くなります。
神社で1年を振り返ったり、
座禅を組んだり、
静かに過ごしたいところですが、
そうはゆきませぬ…
オフィスの土地神様には
昨日お礼参りを済ませて、
本日はお掃除と片づけに集中。


スピリチュアルな話を
鵜呑みにするのは危険ですが、
否定できないこともたくさんあります。
セッションにおいて私が
重要視してたことのひとつが「波」。
相手の「波」を読んで同調しないと
もしくは、引き込まないと、
ある一線を超えることは出来なかった。
プレイ中、私達は穏やかな海を
泳ぐ2頭のイルカになったり、
ひとつの大木を狙う
2つの稲妻であったりしました。
ふたつの「波」がぶつかったり
乱れたりすることがあっても、
良いセッションの最後には
ふたつは一種の同調に落ち着く。
セッション内だけでなく、
真摯に対峙する人間との間には
静電気のようなものがあり、
常に「波」は存在していました。
それが心地良いか否かで
関係性も変わるのでしょう。

セッションの話に戻します。
私が何故、鞭があんなに好きだったかを
申し上げると「波」です。
前に纏められなかった言語のパズルが
磁力に吸い寄せられたように今わかる。
私にとって「波」を能動的に起こしたり
相手の「波」に進入したり、
何かを発起する手段に適していたのが
鞭だった。
だから私の「波」が伝わりやすい鞭を
探しまわっていたんだと思う。
結果が異常な本数の鞭のお買い物で、
最終的には自分の好みのものや、
それらが何に長けてるかも知った。
「波」の切れない鞭が
私にとっての良い鞭。
多くの人が言うハードだの痛みだの
正直、どうでもいいし興味ない。
もちろん鞭という小物も好きだけど、
良きふたつの「波」の
連携ツールである事の方が私に大切。
ちなみに私の感覚では
バラ鞭は「祓う」だし、
一本鞭は「切る」で、
全くもって「打つ」ではない。
他に手段があれば
それで良かったのかもしれない。
別にSMでなくても、鞭でなくても。
ただ私にとってこれ以上の物がなかった。

身体から人間から感じる「波」
何だろう?と物心ついた頃から
漠然と考えていた。
その得体の知れないものの支配力は大きい。
この世界に入って
それはもっと大きな存在になったし、
私を直撃した。

前々から感じてたことが
実証されつつあるこの研究、
面白いので良かったら読んでみて下さい。

過食や肉食や喫煙で勘は低下します。
でも敏感であればいいのかって言うと
そうでもない気も。
気が付きすぎるのも落ち着かないし、
自分を喜ばせてあげることも大事。
日々の食卓にあがるもの、
出会い、嫌なことであれ、
今の自分を構築してくれた全てに感謝。

今年も大変お世話になりました。
「波」に健康は大事。来年も健やかな年を。

2019年 大晦日
朝霧 リエ